日記

1秒でも長く、あるいは1%でも子供と過ごせる希望があるなら

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久しぶりに本を読んで、思ったことや感じたことを書いていきたいと思う。

「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために」を読んで

 

これはガンにかかり、余命3年と言われた幡野広志さんというかたの著書となる。

ガンと診断されて、その後、どういったことを考え、どういうことをしてきたか(していくか)を淡々と語っていく形の本。

正直特段ありがたいことを説いてくれる内容ではないけど、幡野さんの書く文章はとても引き込まれてしまう。

視点の解像度が細かく、それをここまで優しい文章で言語化できるのは本当にすごいし憧れてしまう。

内容について書くつもりはなく、もし気になるかたはぜひ購入して読んでみてほしい。

もともと僕は、「死が確定していて、それを受け入れている人が書く文章に興味があった」というただそれだけの動機から買った。

まず読んでいて本当に感動もしたし、同じ家族がいる身としてとても真剣に色々と考えさせられた。
ただし読み終えたあと一つだけ僕はどうしても「僕はそうは思わない。子供や家族を言い訳にして逃げることを正当化しているだけでは」と思ってしまうところがあり今日はブログに書こうと思った次第。

予めいっておくと別に安楽死自体を否定しているわけではありません。むしろ本人が望むならさせるべきだとすら思ってます。

 

いざとなったら安楽死を選ぶという選択

(全然詳しくは知らないが)血液ガン(多発性骨髄腫)というのはとにかく治療や、とくに死ぬ直前などは本当に凄惨なものらしい。

骨はスカスカになり、咳をするだけで骨折し、緑色のタンを吐き続けたりする(らしい)

幡野さんには息子さんと奥さんがいる。

その上で幡野さんは、「いざというときには安楽死を選ぶ」と決めている。(日本では認められていないので海外で)

もう二度とあんな苦しみは味わいたくないと思うし、今度はもっとひどい状況に追い込まれることが確定してる。自分でなくなった自分の姿を、妻や子供には見せたくはない。

というところが僕はすごく引っ掛かった。

もちろん幡野さん自身だって家族のこと抜きしたって、そんなつらい思いしたくないしどうせ死ぬなら楽に死にたい。という気持ちがある。

ただ、そこに子供や家族のことを出すのはなんか違うのではないかと感じたのだ。

子供がいるからこそ僕は最後まで戦いたい。負け戦とわかっていても

念の為言っておくともちろん僕はがん患者ではないし(多分)健康体だ。あくまでそんな健康体の僕の考えである。

幡野さんは「子供が僕のことを思い出したときの最後の思い出をひどいものにしたくないため、いざとなったら安楽死を取る」と考えている。

僕は仮に同じガンにかかり、同じ結末をたどるにしても僕は最後までガンと戦いたいと思う。

なぜか。

 

「パパはどんなに辛い思いをしても、たとえ報われる可能性が1%もない状況でも最後まで諦めずに戦ったんだよ」というのを子供に見てもらいたい。

安楽死を取るというのは悪く言えば逃げだ。あらゆる可能性を諦め、苦しい思いから手っ取り早く開放される手段だ。

つまり嫌なことから逃げる。というのを体現している。「努力の放棄」と言ってもいいかもしれない。

僕の子供は今後の人生でいろんな壁にぶち当たると思う。

  • なかなか成績が伸びない
  • 部活の練習がきつい
  • みんなの前で発表しなければならない

などなど。もちろん受験勉強だってあるだろう。

そういった場面にあったときに、やはり逃げてほしくない。

例えば東大を目指していたとして、先生に、「んー、君じゃちょっと無理かもね・・・」と言われたときに、本人が入りたいのであれば誰になんと言われようと努力してほしい。

僕は親として、「自分がやるって言ったことは絶対にやれ」と娘を呪縛するつもりはないし、結果的に東大に入れなくとも構わない。ただ嫌なことから逃げたり、人から反対された程度で自分の夢を簡単に諦めるようにはなってほしくない。

僕は最後まで病気と戦い、「パパは諦めないぞ」と話してあげたい。(頭では治らないとわかっていても)

もちろん極論だし、仮に安楽死を選んだところで子供がそこまで深く考えて「パパは逃げたんだ」なんて考えることはほぼないと思うけど、万が一僕みたいなひねくれ者に育った場合いつかそう考えるときが来るかもしれないし、親戚とかが酔って子供にそんなことを吹き込むかもしれない。あるいはこういう記事を見るかもしれない。

もしかしたらいつか、大天使の息吹みたいなものができあがるかもしれないし奇跡も魔法も信じて戦ってみる人生を選ぶもの面白い。どんな病気だって最初は治療法なんてなかったんだから。

負けるとわかっている戦に向かうのは普通に馬鹿のように見られるかもしれないけど、馬鹿なので仕方ない。

また、どんだけ苦しい思いをしていようが、一秒でも長く子供のことを見たり考えていてあげたい。

もし僕が同じ立場になったら

この本を読んだらきっと誰しも「自分がガンになったら・・・」と考えると思う。「宝くじがあったら。」みたいなノリで。

僕はやはり生きたい。

 

子供が初めて歩けるようになったとき、走って転んで泣いたとき、テレビから流れてきたCMの音楽を歌う姿、学校の入学式、卒業式、翌日のテストに向けて勉強する姿、美味しいものを食べてみせる笑顔、初めて見たものを指差して僕や妻に訴えかける姿、悩んでいる姿、結婚。

 

これらの姿を親として見たいと思うし、そばにいてあげたい。

僕は当然のように見れると思っているけどもしそれが叶わないとしたら・・・と考えるだけで、この記事はカフェで書いているが涙がでる。(子供ができて本当に涙もろくなった笑)

実際ガンになったら真っ先に今後の子供の姿を見られないことに嘆くと思う。

生きたい生きたい生きたい。生きたくて仕方ない。死ぬのだけは死んでも嫌だ。

 

けど受け入れるしかないんだろう。

きっと幡野さんのようにすぐには受け入れられないかもしれないけど、なるべく早く受け入れて、「残された人生。家族になにを残せるだろう」と自分の運命と向き合うしかない。

嘆いていたってガンはなくならない。
ならば残された人生、一つでも多くのこと妻や嫁としてすごくべきだ。
また、僕個人が残せるものを残し、捨てられるものを捨てたい。(これは幡野さんの受け売りになる)

そう考えるのはきっと難しいかもしれないけど、そうすべきだと考えることの大切さをこの本から学んだ気がする。

僕は悔いは残るしすごく悔しい気持ちで死んでいくと思う。幡野さんのように「悔いはないと胸を張って言える」なんてことは絶対にない。

それでも、「ガンとわかってから、余命の中としてはやれることはやったなぁ。あーあー、もうちょい生きたかったなぁ」という気持ちで死んでいきたい。

 

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